9月東京定期演奏会 酒の神「バッカス」プログラムノート公開

第713回東京定期演奏会(2019年9月6日、7日) プログラム・ノート

小沼純一

 9月の定期演奏会では、日本フィルがこれまで委嘱してきた作品を再演します。今回は1959年の第二回の委嘱作品と今年、2019年の新作、新旧二作品が、フランスの作曲家の作品にサウンドウィッチするかたちをとっています。
 どういうふうに組み立てられているのか、すぐ目にはいってくるのは、まず、「バッカス」−−−−ギリシャ神話では「ディオニュソス」−−−−ではないでしょうか。ギリシャ神話の酒の神です。
 サン=サーンスはオペラのなかで、この酒の神に由来する《バッカナール》を据えています。ルーセルは、文字どおり、バレエの主役です。前者の舞台はパレスチナのガザ、いまはパレスチナの自治区で、イスラエルがしばしば空爆をしている土地として認識されていることでしょう。後者の舞台は地中海、ナクソス島。ともに、作曲家にとっては時代も場所もはなれたところにあります。そうした距離ゆえにこそ、イマジネーションが刺激されるところがあります。しかも聖書とギリシャ神話、身近な現実とは異なった不思議な出来事がおこります。しかし、作曲家はこうした隔たりのなかに、音楽のヴァイタリティを感じとり、古代の物語だけれど、「いま」の音楽としてつくりあげています。二つの委嘱作品も同様でしょう。物語に依拠しているわけではありませんが、西洋とアジアの列島の芸術観の違いや、20-21世紀の作曲家がおかれている世界史的な現実が、楽音という抽象的なものによって構築されています。大島ミチルさんは「人の持つエネルギー、哀しみや不安、多様性、個々のぶつかり、人の手に負えない自然の脅威……」という書き方をされていますが、このエネルギーこそが、4つの作品を結びつけているようにおもえます。きっとそのエネルギーとは、バッカスの祭り、ダンスをとおしてあらわれるでしょうし、民謡のなかに息づいているものでもあるでしょう。
 音楽をなりたたせているリズム、そしてエネルギーを、いま、この原稿を書いているのは酷暑のさなかなのですが、だからこそ、こうしたプログラムで再認識できるなら−−−−−。

サン=サーンス:歌劇《サムソンとデリラ》より「バッカナール」
 パリ生まれのカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が亡くなったのは、北アフリカのアルジェでした。いまは80代で矍鑠とした人が多くいらっしゃいますが、20世紀前半、この年齢で地中海を越えた地に旅して、そこで亡くなった人物のヴァイタリティには驚かされてしまいます。帝国主義、植民地主義の時代ですから、異文化への、オリエントへの関心もつよくあったのでしょう。ピアノ協奏曲〈エジプト風〉や《アルジェリア組曲》といったタイトルからもそれはうかがえます。
 《サムソンとデリラ》は旧約聖書にもとづくオペラです。イスラエルのサムソンは、たいへんな力持ちで、ペリシテ人が攻撃してくるのをはねのけていましたが、あるとき、デリラという女性を愛するようになる。敵方はこの女性をとおして勇者の力の秘密を知ろうとしますが、なかなか明らかにはなりません。遂に急所を洩らしてしまったサムソン、酒に酔っている隙に髪を切られ、目をつぶされてしまいます。そして来る日も来る日も牢で臼を挽かされます。ただあいだにも月日が過ぎて、いつしか髪ののびたこの士師は、力を回復し、神殿の石柱を倒し、ペリシテ人ともども、下敷きになってしまいます。かくして祖国は守られて。

 もともと作曲家はオラトリオとして構想していましたが、途中でオペラへと路線を変更。フランス語のテクストをもとに作曲していたものの、初演は1877年、ヴァイマールでドイツ語訳で初演されます。フランスでの初演は1890年、3月にルーアン、10月にパリでおこなわれてはいるのですが、なかなか良い評価が得られません。結局、パリ・オペラ座で成功を収めるのは1892年11月のことになります。
 当時のグランド・オペラはバレエのシーンが重要で、《バッカナール》は、全3幕の再終幕、サムソンが捕えられ、ペリシテ人たちが勝利を祝う画面です。冒頭にオーボエのソロがあり、これは「ミ・ファ・ソ♯・ラ・シ・ド・レ・ミ」というヒジャーズ音階(マカーム・ヒジャーズカル)によっています。いわば異教の呼び掛けにあたるでしょうか。つづくリズミカルな部分は、ペリシテ人たちの気質やお祭り気分をあらわしているでしょう。もちろん、ここでの「バッカナール」とは、祝祭的な場面といったニュアンスで、由来するギリシャ神話と旧約聖書と、その意味でのつながりはありません。

 

ルーセル:バレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第1・第2組曲
 ジュール・ヴェルヌの小説−−−−『海底二万里』でしょうか?−−−−を読んで海の男になるんだ!と決意した少年期のアルベール・ルーセル(1869-1937)。パリの学校で、たまたま音楽の魅力にふれた青年は、はじめ海軍学校へ通い、海軍士官になったものの、25歳になると、軍職をはなれ、本格的に音楽を学び始めます。同時代の音楽の影響はもちろんあります。しかし、この作曲家の大きな特徴は、リズムです。色彩感をもったリズム、とでも言ったらかもしれません。ドビュッシーやラヴェルではない、ミヨーやプーランクではない、本人以外あまり似たもののない音楽をつくりだします。
 《バッカスとアリアーヌ》は、ファーブルの『昆虫記』をもとにした《蜘蛛の饗宴》(1912)、とならんで、バレエ曲のレパートリーとして知られています。ルーセルは、ほかにも《エネアス》(1935)があったり、唯一のオペラ《パドマヴァーティ》(1918)も「オペラ=バレエ」と呼ばれるように、舞踊を喚起する作品があります。この《バッカスとアリアーヌ》、初演は1931年5月22日、パリ・オペラ座。振付とバッカス役はセルジュ・リファール、舞台装置と衣裳はジョルジオ・デ・キリコ、指揮はフィリップ・ゴーベール、いまおもえばそれこそ「神話」的な名がならんでいました。
 神話はいくつもの異なった伝承を許容します。おなじ名の神や人なのに、複数のエピソードがあるのはそのせいです。ギリシャ=ローマ神話も同様です。バレエでは、オペラのようにことばをつかうことができないので、ストーリーはどうしてもシンプルになります。ルーセルは、バレエの音楽をそのまま2つの組曲とし、コンサートで演奏できるようにしています。以下、大枠とともに、楽曲のどのあたりにあたるかを記しておきましょう。

 クレタ島の迷宮でミノタウロスを倒し、アリアーヌ(アリアドネー)をつれてクレタ島を脱出したテーセウスは、この王女をつれてナクソス島にたどりつきます。まず、ここまでが前段です。こうして舞台の幕が開きます。

第1組曲(5つの部分からなります)
 前奏曲にあたる部分[1. アレグロ・コン・ブリオ(イ長調 4/4)]から、戦いに勝利した若者たちの踊りがあり[2. アレグロ・モルト(ハ長調 3/4)]、ミノタウロスとの戦いを反復してみせる踊り[3. アンダンテ、アレグロ・ヴィヴァーチェ 2/4]があり、バッカスの登場となる[4. メノ・アレグロ-アレグロ・エネルジコ]。アリアーヌが眠らされ、バッカスがみずからが神であることを明かし、テーセウスらを島から追いだしてしまう。バッカスはアリアーヌを岩のうえにおき、姿を消す[5. アダージオ 変ホ長調 2/4]。
第2組曲(8つの部分からなります)
 アリアーヌの眠りから目覚める[1. アンダンテ 3/4]。テーセウスらが去ってしまったことに絶望して海に身をなげる。と、そこにバッカスが岩陰から登場、アリアーヌを救う[2.& 3.アダージオ]。そしてバッカスの踊り[4. アレグロ]。夢をみるアリアーヌのしばし静かな場面の後、両者は口づけをかわし、杯を交わす[5. アンダンテ 4/4 –アレグロ・デシゾ 3/4]。だんだんと高揚してゆくアリアーヌの踊り[6. アンダンテ 4/4と12/8]。バッカスとアリアーヌの踊り[7. モデラート・エ・ペザンテ 10/8]から大団円[8. アレグロ・ブリヤンテ 4/4]にむかってゆく−−−−。

 

大島ミチル氏の新作「Beyond the point of no return」の解説はこちら

間宮芳生「ヴァイオリン協奏曲」をめぐって